クラッシュ

公開 1996年
監督 デヴィッド・クローネンバーグ
公開当時 ジェームズ・スペイダー(36歳)
公開当時、まだ「フェティシズム」というものは世間に認知されておらず、本作も単なる「エロい洋画」というカテゴリーで捉えられていたように思います。
偏った性的思考に対し「変態」というレッテルを貼り排除していた時代に、真正面からフェティシズムを描いた挑戦的な作品と言えます。
ネットの普及で個々の潜在的な性的思考を大らかに語る事のできる現在に改めて見ると、当時は「…?」だったのが「言いたいことは分かる」といった風に視聴後の感想が変化しており、自身の成長を感じると共に、本作に時代がやっと追いついたと思わざるを得ません。

ジェームズは妻キャサリンと倦怠期を迎えており、普通の情事では快感を得る事が出来なくなっていた。
ある日ジェームズはハイウェイでのよそ見運転から事故を起こした事がきっかけで、「クラッシュ・マニアの会」主催者のヴォーンと出会う…
90%以上エロいシーンと車の衝突シーンで構成されており、自動車事故に性的興奮を感じる男女が、ひたすら自らのエクスタシーの行きつく先を追求する展開で、ストーリーなどはあって無いようなものです。
車の衝突シーンは「グワシャッ!」と金属がつぶれ陥没する衝撃を画面から感じることができ、見ているだけで鞭打ち症になりそうなほどの痛々しさがあります。
劇場の大画面と音響で見たら、かなりの迫力だったのではないでしょうか。
ヴォーンの主催する「クラッシュ・マニアの会」。
それは有名人の事故死の場面をスタントマンを使って再現するというもの。
ポルシェ550に乗りジェームズ・ディーンの事故死を再現すべく、本気で正面衝突をするヴォーン。
「自動車事故は破壊的で無く、生産的出来事だ。性的エネルギーの解放なんだ…。 事故で強烈な死を迎えたスターの性的エネルギーを感じ、自身もそれを経験するという事なんだ…」
交通事故の現場を見つけるや記者を装いズカズカと侵入し、血まみれの被害者や事故車両を写真に撮影しまくる。
自ら交通事故のパフォーマンスを行うヴォーンは常に満身創痍で、エクスタシーを得るためなら死をも厭わない筋金入りの「変態」なのです。
ヴォーンの影響で、ジェームズは次第に事故車に対する性的興奮に目覚めていく…

本作ではホリー・ハンターやロザンナ・アークエッドのような大女優が惜しみなくヌードを披露し、大胆な濡れ場を演じています。
「クラッシュ・マニア」らは事故で廃車になった車内で性行為を行う事でエクスタシーを得る。
狭い車内でどこがどうなっているのかよくわからないアクロバティックな体勢で性行為を行うのです。
高速を走る車のバックシートや、洗車のウォッシュマシンの中など、とにかくありとあらゆる車内での非現実的な性行為を楽しむのが彼らのスタイルのようです。
出番は少ないものの、「クラッシュ・マニア」の会員であるロザンナ・アークエッド演じるガブリエルも、かなりの存在感を醸し出しています。
彼女は交通事故で腰から下に歩行用ギブスを付け、杖をついて歩行もやっとながら、網タイツにマイクロミニスカート、真っ赤なルージュでSМの女王様を思わせるボンテージ風にギブスをカスタマイズしているのです。
太腿には事故で負った傷が生々しく残り、それが網タイツから透けて見えるのもマニアにとっては「たまらない」という事なのでしょうか。
事故で負った傷を愛でるのも、彼らの特性なのです。

「クラッシュ」のエクスタシーに目覚めたジェームズとキャサリンの夫婦は、互いに車をぶつけあい、キャサリンの乗った車は縁石を乗り越えて斜面を転がり彼女は運転席から投げ出される。
ジェームズは彼女のそばに駆け寄り、救助するのかと思いきや、その場でまた性行為を始める。
映画はその場面で幕を閉じます。
ジェームス・スペイダーは沢田研二を思わせる憂いのある目元で、当時病み系美青年を演じさせたら彼の右に出る者はいないほどでした。
1990年「僕の美しい人だから」を見てファンになってしまった私は、その後も彼の出演作を追っていましたが、90年代が彼の輝く魅力の全盛期で、その後は年齢と共に渋い脇役を演じる事ようになりましたね。
アメリカでは車検が義務付けられていない州もあるそうで、車のドアが無かったり、廃車同然のボコボコの車が平気でハイウェイを走行しているのを見ることができます。
車検自体も日本よりチェック項目が少なく1時間程度で終わり、費用も15000円程度なのだそうです。
本作は公開当時「堕落の限界を超えている」と大ブーイングされ、上映禁止キャンペーンが繰り広げられるほど物議を巻き起こしたそうです。
以前、作家の岩井志麻子が「私はただのスケベ。"変態"は私が仰ぎ見る高みに達した憧れの存在」と語っていた事があり、本作を見た後ではこの言葉が深く心に染みます。
あらゆるジャンルのフェティシズムというのは存在しますが、それらを主題にして映画を製作した場合コメディになってしまう事が大半で、本作ほどセクシーで大人のサスペンステイストには仕上げられないだろうと思われ、デビット・クローネンバーグの研ぎ澄まされた感性は恐るべきものがあります。
本作のような奥深きフェティシズムの世界を覗くと、自分の中の何かが覚醒しそうで恐ろしくなります。










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