悪魔と夜ふかし

公開 2023年
監督 コリン・ケアンズ キャメロン・ケアンズ
出演 デヴィット・ダストマルチャン
実際にこんな放送事故が起きたとしたら、都市伝説マニアの間で永遠に語り草になるのではないでしょうか。
1970年代らしい怪しげなオカルトを取り上げた番組内で、本当に悪魔が降臨し大パニックに陥る展開で、後半に向けジワジワと加速度的に盛り上がり、次第にリアルタイムで番組を見ている一視聴者のような気分にさせられてしまいます。
古き良きアメリカのバラエティーショーを再現した作風で、70年代生まれの私は日曜日の朝に家族で見ていたグラハム・カーの「世界の料理ショー」を思い出してしまいました。

1977年のハロウィンの夜。深夜のトーク・バラエティ番組「ナイト・オウルズ」の司会者ジャック・デルロイは人気挽回のため、生放送のオカルトショーを計画していた。
ハロウィンスペシャルと銘打った企画の最初の出演者は、うさん臭さ炸裂の超能力者クリストゥ。
「彼の名前は、Sから始まる… いや、Мか…?」
超能力でも何でもない、数打ちゃ当たるの手法にも関わらず観客は拍手喝采。
しかしながら彼はこれから登場する「悪魔憑き少女」の前座に過ぎなかった…
番組には「大槻教授」を彷彿とさせるオカルト否定派の論客カーマイケルも登場。
自分に心霊現象だと認めさせる事ができれば、即座に10万ドルの小切手を渡すと息巻く。
心霊肯定派と否定派の論客が丁々発止とやりあう構図は、1990年代に放送された「ビートたけしの超常現象Xファイル」のようで、私の年代にはたまらない構図です。
スタジオにはついに真打、悪魔憑きの少女リリーが登場。
心理学者ジューン博士の指導の下、スタジオで実際に悪魔を降臨させる実験を行う。
ジューンは「エクソシスト」さながらの変容を見せる。
まさかの「本物登場」にスタジオは騒然、視聴率は急上昇する…
画面にはアメリカ版の「しばらくお待ちください…」の画面が…
最近では見なくなったものの、昭和の昔は生放送のスタジオで何事か収拾できない事態が起こった時に、富士山などの背景をバックにこのテロップが表示されたものです。
オカルト否定派のカーマイケルは少女の一連の変容は催眠術によるものだと主張し、実際にデモンストレーションをして見せる。
ジャックは真偽を確かめようと、少女の悪魔憑きのシーンのVTRを再生するも、そこには映ってはいけない物が映りこんでいた…
次々と起こる怪奇現象にスタジオは上を下への大騒ぎ、悪魔、幽霊、超能力者が入り乱れ、出演者は皆死亡、生き残ったのは司会者のジャックのみ。
一人スタジオに残されたジャックはカメラに向かって
「今すぐ、テレビを消せ…!」
1970年代アメリカのテレビ番組の司会者というのは「ホスト」という呼び名に相応しく、観客をまるで自分の家に招いたかのように足を組んでソファに座り、ゆったりとした口調でスタッフいじりや軽いジョークでスタジオを盛り上げていました。
そのたたずまいに日本の司会者の鯱張ってキビキビとしたそれとは違う、大人の余裕と洗練されたアメリカのショービジネス界を感じたものです。

スプーン曲げで有名な超能力者ユリ・ゲラーはアメリカから衛星生中継で日本のオカルト番組に出演した際、「日本の皆さん、家に壊れた時計はありませんか? テレビの前に置いてくれたら、僕が超能力で動かしてみせます!」と言い放ったのです。
当時子供だった私は大急ぎで針が止まった置時計を持ってきて、テレビの前に置いたのを思い出します。
ユリ・ゲラーはカメラに向かって何やら念を送るような所作を取っていましたが、我が家の時計が動くようになったかどうかは記憶していません。
ただ、番組には「時計が動いた!」との電話が殺到していました。
種明かしをすると、長期間同じ場所で動かさずにいた時計に衝撃を与える事で、針が動き出すという現象はよくある事なのだそうです。
他にも彼は、観客は引き当てたトランプの数字を見事に当てて見せるという超能力を披露していましたが、これも観客の中にサクラを仕込み、ジェスチャーで数字を知らせるというトリックだったそうです。
彼のおはこのスプーン曲げも、何らかのトリックがありそうですね。
1970年代は日本でも「あなたの知らない世界」の新倉イワオや冝保愛子など、オカルト界のスター全盛期で、私はテレビ番組で彼らが見えない何かと対話するのを固唾を飲んで見守っていたものです。

昭和のテレビ番組では超常現象に対し、「今日こそ決着を着ける」といったトーンで激論を交わすも、結局いつも曖昧な結論に着地していた事を思い出します。
私としては、悪魔や幽霊や超常現象の存在を完全に否定されたくはないという想いがあります。
「お気づきだろうか…」といった風に、画面の隅に数秒映る何かに想像を巡らし、この世のものでは無い何かであることを期待してしまうのです。
格差社会に生きる弱者としては、オカルトは最後の砦、運や実力以外の神秘なるものの采配が存在する事を信じたいのです。
映画を見ていた93分間、日常の雑多な悩みをすべて忘れ没頭していました。
GDPの高い国ほどテレビでオカルトのコンテンツが多いという統計があるそうで、やはりオカルトは身近な非日常であり最高の娯楽、「衣食足りて超常現象を知る」ということなのでしょね。










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