ビューティフル・ストレンジ
公開 2024年
2016年に57歳で急死したプリンスのドキュメンタリーで、彼の出身地であるミネアポリスと彼の音楽を育んだ現地の黒人コミュニティについて淡々と語られています。
「プリンス遺産管理団体」が協力していないため、彼の楽曲を使用する事は許されておらず、華やかなステージ映像満載の内容を期待して見たら肩透かしをくらうかもしれません。実際作品の感想では「騙された」「期待外れ」などの声が多いようです。
私は日本では知る人ぞ知る存在だったプリンスが1989年「Butdance」でメジャーな存在になった後から彼の音楽を聴き始め、ステージでの超人的なダンスとエレキ演奏のテクニック、セクシーなパフォーマンスにすっかり魅了され、「Sign О The Times」などのライブ映像を漁るように見たものです。
本作で初めて彼のミュージシャンとしてのルーツや背負った物の大きさ、生身の人間としての一面を知り感動すると共に、もう彼はこの世にいないことを思い出し、見終わった後色を失ったような寂しい気持ちになりました。
原題「Mr.Nelson On The North Side」で、少年時代のプリンス・ロジャース・ネルソンは「プリンス」という本名を嫌がっていたそうです。
映画の序盤、プリンスが生まれ育ったミネソタ州ミネアポリス北部の歴史、公民権運動が最も盛んだった時代に、ミネアポリスの黒人文化の中心となったコミュニティセンター「ザ・ウェイ」がいかにして創設されたのかが描かれます。
「ザ・ウェイ」はミネアポリスで初めての黒人自身が運営する教育施設で、彼らのコミュニティの中心地となり、中でもプロのミュージシャンを育てる取り組みに力を入れ、この施設からプリンスをはじめ多くの有名ミュージシャンが育っていったそうです。
ピアノ、ドラム、エレキ、ギターなど20種類以上の楽器を弾きこなし、作詞、作曲、プロデュースなどすべてをこなすマルチプレイヤーで、「いつ寝ているのかわからない」ほどの膨大な時間を練習に割いていたそうです。
本作では関係者によってプリンスの意外な素顔が次々と語られます。
「彼はシャイで、アンプを見るフリをしていつも後ろを向いていた。観客を見れなかったんだ」
プリンスのセクシーで過激なパフォーマンスを見ると、彼がシャイだったという関係者の言葉を疑いたくなりますが、
「黒人を強調したくない。まずは、曲を聴いてもらいたい」
身長157cm、アメリカ人男性としては小柄で、黒人音楽が主流から排除されていた時代、大衆にアピールするために自らの弱点も魅力もすべて客観的に分析した上で、あえて衆目を集めるセクシー路線を選んだのかもしれません。
彼は努力の塊のような人間だったのではないかと改めて感じます。
「ステージにすべてを置いてきた」
2016年に彼が亡くなった時、多くのファンが彼のレコーディングスタジオでありコミュニティの場である「ペイズリーパーク」に哀悼を捧げに来ており、私は初めてその存在を知りました。
映画ではペイズリーパークでのファンとの交流も描かれており、パーク内ではアルコールやドラッグ、スマホなどの電子機器も持ち込み禁止、参加者は純粋に「今」を楽しむことに集中するよう促されていたそうです。
「ディズニーランドが最高に楽しいという人は、ペイズリーパークを知らないからよ」
プリンス本人もファンとコミュニケーションし、マドンナなど大物ミュージシャンも度々訪れていたそうです。
ペイズリーパークでのファンとの交流は間違いなく彼のルーツである「ザ・ウェイ」での体験を皆と分かち合いたいという想いからでしょうね。
「人は与えらえれるだけでなく、いつか誰かに与えなければならない」
プリンスはレコード会社の不当な利益搾取に疑問を呈し、音楽業界に先駆けてファンに直接自分の音楽をダウンロード販売していたそうです。
「新曲ができたんだけど、聞くかい?」
誰よりも早く新曲を聞けるなんて、ファンにとってはこれほどアーティストの愛を感じることはありませんね。
彼ほどの世界的なアーティストでこのような活動をしていた人間が他にいるでしょうか。
「彼は決して、自分のルーツに背を向けなかった」
「ザ・ウェイ」の代表ハリー・スパイク・モスは
「彼が亡くなった時、誰も私の所に取材に来なかった。来てくれて嬉しい」
「今でも心の一部が麻痺している」
彼の言葉にはかけがえのない人を失った悲しみが滲んでいます。
平日の映画館は私を含め観客は10人ほどでしたが、極度の人見知りの私が見終わった後、誰かに話しかけプリンスの事を語り合いたくなってしまいました。
これこそ彼が信じた音楽の魔法なのではないでしょうか。
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