白鳥の王子

公開 1977年
監督 西沢信孝
原作はアンデルセンの童話「野の王子」で、「東映まんがまつり」の一篇として劇場公開されたものです。
小学生の頃、テレビで放送されていたのを偶然見て、心を揺さぶるストーリーとアニメーションのクオリティの高さに感動したのを覚えています。
俳優仲代達矢の妻で劇団「無名塾」創始者、隆巴が脚本を書いており、子供向けアニメながら細部までこだわりのある緻密なストーリーと、主人公エリザの愛と執念を感じる演出が随所に見られ、一度見たら忘れられない作品です。

呪いの森に迷い込んだヒンデンブルグ王は、魔女の娘グレタから道を教える代わりに妃にしてほしいと懇願され、城に連れて帰る。
王が森に迷い込んでいく様子をバックにオープニングクレジットが流れ、見る者を作品の世界に誘う導入としては素晴らしく、子供向けアニメとは思えないクオリティの高さを感じます。
亡くなったお妃は、災いから守るため、秘密の城に子供たちを隠していた。
自らが死んだ後も、子供たちを守ろうとする母の愛…
妃は王が美女にほだされやすいのを解っていたのですね。
王と亡くなった妃が強い絆で結ばれている事に嫉妬したグレタは、6人の王子たちを魔法で白鳥に変える。
危うく難を逃れた末娘のエリザは、兄たちを探し森をさまよう。

白鳥になった兄たちは夜の間だけ人間に戻ることができ、暖かくなると寒い土地に渡らなければならない。
兄たちにかけられた魔法を解く方法が一つだけあった。
それは6年後の正午までに、イラクサで6人分の肌着を編み、兄たちに着せるというもの。
棘だらけのイラクサを摘み、足で踏んで筋を柔らかくし、紡いで一本の毛糸状にし、肌着をひたすら手で編み続ける。
しかもその間、エリザは一言も口をきいてはならない。
「きっとやれる。やってみせる…!」
原作では「エリザの白い手はイラクサの棘で血だらけになり、イラクサを踏んだ足は石のように硬くなりました」とあります。
「さようなら、エリザの声!」
キリストの殉教にも似たエリザの過酷な苦行が始まる。
映画の前半がメルヘンなら、後半は愛と死を賭けたエリザの孤独な戦いが描かれます。

6年の月日が流れ、美しく成長したエリザ。
6人分のイラクサの肌着は、あと一枚を残すのみ。
一人で森で暮らすエリザは、暴漢に襲われたそうになったところを、フリードリヒ王に助けられる。
若く聡明なフリードリヒ王はエリザを気に入り、城に連れて帰る。
王子たちに魔法をかけた事がばれ、ヒンデンブルグ王に城を追い出されたグレタ親子。
今度はフリードリヒ王の妃の座を狙うも、追うがエリザに心を奪われている事を知るや、エリザを国を亡ぼす魔女だと告発し、排除する手段に出る。

魔女裁判にかけらることになったエリザ。
「このピンを足に刺して、声を上げたら人間、黙っていたら魔女ということになります…」
容赦なくエリザの足に針を突き立てるグレタ。
エリザは声を出すまいと必死で口を手で覆い耐えるも、痛みで失神する。
このシーンは子供向けアニメとは思えないほど生々しく恐ろしいのですが、過酷な拷問にも屈しないエリザの覚悟が伝わり、ストーリーに深みを与えています。
エリザは魔女だと判定され、火あぶりの刑に処されることになる。
処刑場に引かれていく馬車の上でも休まず手を動かし肌着を編み続けるエリザ。
死んだ母親が憑依したかのごとき恐るべき執念で、死を目前にしても必死で肌着を編み続けるエリザの姿は胸を打つものがあります。
エリザは十字架に架けられ、火が放たれる。
その時、東の空に6羽の白鳥が現れる…
諦めかけていたエリザは、最後の力で肌着を6羽の白鳥めがけ空に投げる。
イラクサの肌着を被った白鳥は、次々と人間の王子へと変身する…
大切な人を救うためにいばらの道を歩んだエリザの苦行が報われる瞬間であり、魂が浄化されたかのような感動を覚えるクライマックスです。

劇中のフリードリヒ王の言葉「愛とは何か知っているのか? 愛とは愛する者のためにすべてを捨てる事だ」
作品のテーマが静かに語られています。
幼い頃、「白鳥と11人の王子」のマスクプレイミュージカルを見たのを覚えています。
子供ながらに「もう一度見たい」と泣いてねだったほど感動的でした。
演劇にしろ映画にしろ、どの形態でも素晴らしいのは、やはりアンデルセンの原作が秀逸だからですね。
原作では王子は11人で、エリザがイラクサの肌着の片袖を編みあげることが出来なかったため、11人目の王子は人間に戻っても片腕は白鳥の羽のままという事になっています。
ディズニーで映画化するなら、近年のようなCGでは無く、人間味のある手書きアニメで制作して欲しいものです。
ドラマチックでスペクタクルな要素満載で、真実の愛とは、無償の愛とは何か、見る者の魂に問いかける名作です。
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