天国に一番近い島

公開 1984年
監督 大林亘彦
公開当時 原田知世(17歳)


公開当時映画館に見に言ったにも関わらず、本編の内容はほどんど記憶になく、原田知世が歌う主題歌「天国に一番近い島」が一番印象に残っています。

当時現役高校生だった原田知世は「ザ・ベストテン」などの歌番組に高校の制服姿で登場し生歌を披露するなど、映画のプロモーションも大々的に行われていました。

同時上映だった薬師丸ひろ子主演「Wの悲劇」がドロドロした芸能界を舞台にした作品だったせいか、原田知世のピュアな魅力とニューカレドニアの島の美しさが際立っていたように思います。
全編通して原田知世の壮大なプロモーションビデオと言っても過言ではない作品ですね。

「グズで、ノロマで、だんまり」な冴えない女子高生、万里が、父親の思い出の土地を探しに南の島を訪れ、人間的に成長するお話です。
これといったストーリー展開は無く、ひたすら美しいニューカレドニアの島々と、原田知世のピュアな可愛さを愛でる作品となっています。

原田知世と、島の少年役、高柳良一の演技は学芸会レベルの棒読みで、脇を固める松尾嘉代や峰岸徹の存在が無ければ、大人の鑑賞に耐えなかったかもしれません。

原田知世は転がるヤシの実を追いかけたり、海をバックに島をサイクリングしたり、ドラム缶の風呂に入って泣きじゃくったりと、大林亘彦監督らしく美少女愛が炸裂しています。

80年代の角川映画は薬師丸ひろ子と原田知世の二枚看板で、当時角川書店社長だった角川春樹のメディアミックス戦略の元、彼女たちが主演する映画は軒並み興行収益ナンバーワン、主題歌を歌えば何週にもわたりヒットチャート上位を独占していました。

映画の公開前には必ずテレビで特番が組まれ、原田知世はドラム缶の風呂で泣きじゃくるシーンで何度もNGを出し、大林亘彦監督に叱咤されるなどの撮影秘話を披露していたのを覚えています。

当時中学生だった私は、薬師丸ひろ子の強烈な存在感と比べ、原田知世の素朴で少年のような風貌に魅力を感じませんでしたが、大人になってから改めて観察すると、角川春樹が50,000人の中から選んだだけあって、素朴でピュアな中にほんのりと色気があり、磨かれる前の原石のようなポテンシャルを秘めた魅力がありますね。
角川の雑多なメディアに安売りせず、神秘性を保つ戦略が他の80年代アイドルと一線を画す存在に押し上げたのかもしれません。

「見つけました。あなたが私の、天国に一番近い島です」

全編ニューカレドニアでのロケで莫大な製作費がかかっており、バブルに突入する前の芸能界華やかなりし時代の空気を感じます。
本作の影響でニューカレドニアは日本人観客に大人気となり、リゾート開発されるなど、多大な経済効果をもたらしたのですね。
私もこの映画の影響を受け、死ぬまでに一度は行ってみたいと思ったものです。

今でもこの甘く切なく抒情的な名曲「天国に一番近い島」を聞くと、角川映画を嬉々として映画館に見に行った10代の時の記憶が鮮やかに蘇ります。