ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ
午後のロードショー大好きなパート主婦です。
今回はサタ☆シネ7月9日放送ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼの感想です。
(ネタバレありです。ご注意ください)
公開 2004年
監督 ジョン・ボルソン
公開当時 ロバート・デニーロ60歳 ダコタ・ファニング10歳 ファムケ・ヤンセン39歳 エリザベス・シュー40歳
父親のデイヴィット役をロバート・デニーロにした時点でネタバレしていると言えます。
彼が普通の父親を演じるのは不自然であり、ダコタ・ファニング演じる娘のエミリーの怪演が霞むほどクセがあるのです。
今作のようなサイコサスペンスにおいて私は勘が鈍く、映画の最終盤までオチが読めないことが大半なのですが、今作では早々に結末が読めてしまいました。
母親の自殺の現場を見てしまったエミリーは心を閉ざしてしまう。心配した父であり心理学者のデイヴィットは、エミリーと共に郊外へ移り住むことにする。
しかしそこで、エミリーは目に見えない友達「チャーリー」と遊ぶようになり、それから次々と二人のまわりで不可解な出来事が起こり始める…
デニーロはエミリーの父親を演じているのですが、エミリーはどう見ても孫にしか見えません。
ところが、引っ越した先の警官も隣人も娘と信じ「お孫さんですか?」とは誰一人言わないのが不自然に感じるほどです。
これはどう考えてもミスキャストですね。
死んだ妻とも大分年の差があるように見え、どう見ても役柄に相応しくないデニーロの年齢が後々ストーリーに意味を持たせるのかと思いましたが、なんら関係なかったようです。
エミリーを釣りに連れて行ったりしていましたが、あの年齢で男手ひとつで10歳の娘を育てるのはしんどいでしょうね。
デイヴィットはしょぼくれた初老の男性でありながら、ファムケ・ヤンセンとエリザベス・シュー、二人の美女から熱い視線を送られるというあり得ない設定なのです。
「チャーリー」の正体はデイヴィットであり、彼は二重人格だった。
「シャイニング」のように、デイヴィットの狂う過程が見えず、いきなり変身してしまうのに物足りなさを感じます。
デニーロは「チャーリー」に変化してからも、マフィア然としたいつもの手馴れた演技で、特に印象に残るものはありませんでした。
幼い我が子を無くした隣人を登場させたりと、ミスリードさせようとはしているものの、やはりデニーロを出演させている事の意味が大きすぎるせいか、「ほら、やっぱり」という印象しか残りません。
ネタバレしてからの展開が長く、デイヴィットはさんざんエミリーと鬼ごっこをして暴れまわった挙句、キャサリンに銃撃されあっさりと死亡。
ありがちな、死んだと思ったら生きてましたよ~で再度襲ってくる盛り上がりもありませんでした。
キャサリンに引き取られたエミリーは、幸せな日常を送っている。
が、エミリーが描いていた自画像には、顔が二つ描かれていた…
ラストシーンには少しゾワっとさせられました。
私は以前からロバート・デニーロ実は大根役者説を唱えてきたのですが、優しい父親から恐ろしい殺人鬼に変化する時の演技のメリハリが乏しいように感じます。
「二重人格」をテーマにしているという点で、ジョニー・デップの「シークレット・ウィンドウ」と似た構造ですが、演技の振り幅が大きく多彩な役をこなすデップと比較すると、デニーロの演技は面白味に欠けると言えます。
地雷メイクでメンヘラ美少女の役を演じるダコタ・ファニングは天才子役の名にふさわしく、思春期の入り口に立つ多感な時期の少女を純粋かつ小悪魔的に演じていいました。
ラストシーンから考察すると、彼女も父親と同じ二重人格の素養を受け継いでいた、あるいは、エミリーも元々二重人格であり、「チャーリー」と共に殺人を手伝っていた、ということでしょうか。
「アザーズ」のような心霊ものと思わせておいて、実は二重人格の父親の仕業というどんでん返し系の作品なのですが、前述したようにかなりの確率でネタバレしてしまうため、スリルや驚きはありません。
この作品はハッピーエンドからバッドエンドまで5パターンのラストシーンがあり、DVDの特典映像ですべてのラストシーンを見る事ができるそうです。
後味が悪い作品なので、ハッピーエンド版のラストシーンを見てみたいものです。
総合評価☆☆☆☆☆
ストーリー ★★★
流し見許容度★★★
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