天河伝説殺人事件

公開 1991年
監督 市川崑
公開当時 榎本孝明(35歳) 財前直見(25歳)


角川映画×市川崑といば、1970年代に大ヒットした「犬神家の一族」や「八墓村」などの横溝正史作品が思い浮かびますが、本作は社長の角川春樹が当時のブームを再燃させようとの強い意向で制作されたそうです。

午後ローで度々放送されており、初めて最後まで視聴しましたが、想像していたほどの駄作では無かったものの、劇場公開するほどのインパクトは無く、2時間ドラマで流し見するのが調度良い熱量の作品です。

「火曜サスペンス劇場」でお馴染みの内田康夫の「浅見光彦シリーズ」の映画化で、主人公浅見光彦は伝統芸能の能の宗家の継目騒動をきっかけに、東京で起きたある変死事件の真相を追う事になる…

浅見光彦はフリーのルポライター。
上司の剣持から吉野の天川村で行われる能の取材をするよう命ぜられるが、村に向かう途中殺人事件に遭遇してしまう。

「また探偵の真似事かね?」
「まさか… 僕には金田一耕助やシャーロック・ホームズのような鋭い洞察力はありませんよ」

榎本孝明演じる浅見光彦は本人の言うように、金田一耕助のようなクセのあるキャラ立ちも無く、かといって刑事コロンボのような飄々としていながら鋭い洞察力を秘めているという事も無く、無能な優男が暇つぶしに殺人事件の状況を整理するといった程度なのです。

意図的な演出なのか、それとも榎本孝明の素の演技力なのか、セリフの棒読みも気になります。

本作には榎本孝明を始めとする「セリフ棒読み」勢と、加藤武、大滝修二、常田富士男のような味わいのある演技派勢が混在するカオスな状況で、どのような温度感で視聴すれば良いのか戸惑ってしまいます。

特に仙波警部補役の加藤武は1976年の「犬神家」にも出演しており、田舎の融通の利かない刑事をやらせたら右に出る者がいないほど、村社会の不条理さを体現していますね。
榎本孝明の棒読みは、加藤武ら演技派勢が醸し出す「村ミステリー」の雰囲気を断ち切っているように思えてなりません。

能楽の名家、水上流の後継者は候補が次々と毒殺されていく。
彼らの殺人現場のそばには何故か天河神社のお守り「五十鈴」が落ちていた。
光彦は天川村の旅館の女将、敏子と、水上流の家元、和春との関係が事件の発端であることに気付く…

光彦の正体を知るや仙波警部補は、
「警視庁刑事局長、浅見洋一郎氏の弟であらせられましたか…! 何かとご無礼を致しました」と平身低頭に様変わり。
「何のことですか? 僕は僕です」
「いやいや、また奥ゆかしい…」

ちなみにこれは「水戸黄門」のようにテレビドラマの浅見光彦シリーズでも毎回挿入されるお馴染みのシーンです。

一連の事件の犯人は、天川村の旅館の女将、敏子の仕業であった。
浅見光彦で無くとも、一連の横溝正史作品を見ている人なら、犯人は映画の序盤に予想が付いてしまうのではないでしょうか。
本作でも敏子を演じた大女優、岸恵子が犯人で、まったく予想を裏切らない結末であり、謎解きの要素はほぼ無いと言っても過言ではありません。

浅見光彦をはじめ登場人物全員が、顔に首の色との差がはっきりわかるほどの白塗りをしており、90年代が舞台の本作では違和感を感じてしまいます。
暗い背景に顔が浮かびあがるような映像で、登場人物は光の加減で全顔、または半顔が陰で見えない演出が多く、光と影のコントラストを強く出す市川崑監督独特の演出がなされています。

能の宗家の跡取りを巡る争いというには、皆淡泊でさほど継目の地位に執着しておらず、「犬神家」のようなドロドロした骨肉の争いの構造に至っていない物足りなさがあります。

主要キャストが東京と奈良の天川村を頻繁に行き来するせいか、「犬神家」のような村の呪いと磁場に捕われたかのような陰鬱な雰囲気に乏しく、ミステリー要素は弱い印象です。

「金田一耕助から十五年… 天河に浅見光彦、走る」
公開当時テレビCМが頻繁に流れていたのを思い出します。

公開後の角川春樹本人の不祥事や、興行収入が振るわなかったことで、続編の製作が見送られ、事実上本作をもって角川ミステリー映画の系譜に終止符が打たれたことになります。

中森明菜が歌う主題歌「二人静」のみが記憶に残る作品です。

今日も無事に家に帰って午後ローを見れていることに感謝😌です。

総合評価☆☆☆☆☆
ストーリー★
流し見許容度★★★
午後ロー親和性★★