ケープ・フィアー

午後のロードショー5月28日放送

公開 1991年
監督 マーティン・スコセッシ
公開当時 ロバート・デニーロ(48歳) ジュリエット・ルイス(18歳) 

この映画を最初に見た時、強烈に印象に残ったのはロバート・デニーロ演じるマックスが警察での取り調べの時に履いていた赤いヒョウ柄のブリーフです。
刑事が「読むのに1日かかりそうだ」というほど体にびっしりと怨念の言葉が刺青され、一目見ただけでヤバい奴だという事がわかります。
ナルシズム溢れる倒錯した復讐に陶酔しており、逆恨みとも言える憎しみを全力で向けられた弁護士サムの恐怖を共感する事ができます。

女性をレイプした罪で服役していたマックスは、自分を救えなかった弁護士に復讐の念を燃やし、彼の家族もろとも恐怖に陥れる…

登場人物の毛穴が見えそうなほど顔面ドアップの映像が多く、画面からすさまじい圧を感じます。
登場人物のセリフに合わせてカメラが左右に激しく振られたりと、1962年「恐怖の岬」のリメイク作品ということから当時のレトロな撮影手法を意図的に多用しているのかもしれません。
カメラのネガフィルムのように色彩が反転した映像やエキセントリックな音楽といい、1991年の作品としてはかなり衝撃的で、当時この映画を見た人は軽くトラウマになったのではないでしょうか。

マックスはサムに対する憎しみを増幅させ、最初はサムの飼い犬、次は愛人、娘、妻へと真綿で首を絞めるようにじわじわと追い詰めていくのです。

「失う事の苦しみを知れ」
マックスがサムに向かって言い放つこのセリフ。マックスが失ったものとは何だったのでしょうか。
彼は服役中に同じ受刑者らに性的虐待を受け、男の自尊心をズタズタにされるのです。
アメリカの刑務所とはなんと恐ろしい所でしょうか。
究極の縦社会であり弱肉強食の世界といえますね。彼らが同じ受刑者に性的虐待を加えるのは序列を教えるための儀式と言えます。
マックスは「字もロクに読めない」チンピラだったにもかかわらず、獄中で哲学書や法律関係の本を読みあさり、体をひたすら鍛え、サムに対する復讐計画を練る事で辛うじて精神崩壊を免れていたのかもしれません。

考えてみれば、彼自身も女性をレイプした罪で逮捕されているのです。
他人の痛みには鈍感で、自分の痛みには繊細なのですね。

この映画を語る時、デニーロの怪演がクローズアップされがちですが、私はダニエルを演じたジュリエット・ルイスが存在感においてはデニーロをはるかに上回っていたと思います。
少女でありながらどこか狂気を帯びており、思春期にありがちなフワフワした捉えどころの無い雰囲気とピュアさがあり、反抗期真っ盛りで、親への反発と溢れる好奇心から得体の知れないマックスに何故か惹かれてしまうのも説得力があります。
彼女がふてくされて下着姿でベットで寝転んでいるシーンは、女性の私でも萌え死にしそうになってしまいます。
完璧主義の巨匠マーティン・スコセッシ監督も、彼女の演技には100点満点を出したのではないでしょうか。

デニーロといえば「デニーロ・アプローチ」と称されるほど、徹底的に外見を作りこみ役に挑むスタイルが有名ですね。
本作でも鋼のような筋肉と全身に施されたタトゥーでイカれたサイコパスになり切っていますが、残念ながら「バットマン」のジョーカーや「羊たちの沈黙」のレクター博士のようなワルとしての魅力は出せていなかったように思います。
マックスは単なる粘着質のストーカーで、見終わったあともひたすら後味が悪く爽快さはみじんもありません。


余談ですが 下着、特にパンツというのは、人間が身に着けるものの中で一番個人のパーソナリティが表れるものだと思うのです。
本作はマックスのヒョウ柄パンツと、ダニエルの白にピンクのドット柄のパンツ対決も見所ですね。

今日も無事に家に帰って午後ローを見れていることに感謝😌です。

総合評価☆☆☆☆☆
ストーリー★★
流し見許容度★
午後ロー親和性★★★★