あゝ野麦峠

公開 1979年
監督 山本 薩夫
公開当時 大竹しのぶ(22歳) 原田美枝子(21歳) 古手川祐子(20歳) 地井武男(37歳)

テレビの地上波で何度も放送され学校の教材にも使われているため、私のような70年代生まれならほどんどこの映画を見ているのではないでしょうか。

ノンフィクション文学の「あゝ野麦峠 ある製糸女工哀史」を元に制作され、エンターテイメントに留まらず歴史的資料としても大きな意味合いを持つ作品といえます。

明治から大正にかけ、岐阜県飛騨地方の農家の娘たちは、野麦峠を超えて長野県諏訪の製糸工場へ働きに出た。大日本帝国の富国強兵の国策において、生糸は有力な輸出貿易品であった…

映画は雪深く険しい山道を少女らが隊列を組み、飛騨から長野県諏訪へと命がけの行軍をするシーンから始まります。

貧しい山村に生まれた彼女らは貧しい家計を助けるため、身売り同然で製糸工場に出稼ぎに行く。

女工たちの仕事は繭を煮て生糸を取る「糸取り」という仕事。
工場での労働は過酷を極め、朝4時に起床し深夜まで、気温40度を超える蒸し風呂のような作業場で15時間近い労働を強いられた。

現場を取り仕切る検番の鬼畜な事といったら…
挨拶代わりに工女に次々と張り手をくらわせ、
「お前らは糸をとる機械じゃ!」「この無駄飯食らいが!」
体罰は当たり前、性的暴行など何でもありの超ブラック環境で労働者の人権など無きに等しく、現在なら地上波放送はできないかもしれません。

劣悪な環境から結核菌が繁殖、主人公みねも病に倒れる。
「医者代、薬代差っ引いたらこっちは大損じゃ。見舞金なんぞ、一銭も払えん」

故郷から迎えに来た兄に背負われ野麦峠で、
「飛騨が見える… 飛騨が見える…」
みねが息を引き取るシーンに私は何度も涙したものです。

主役を演じた大竹しのぶの神がかったような芝居には、今見ても息を吞んでしまいます。まさに主人公みねが憑依したとでもいうべきでしょうか。
その他、原田美枝子、古手川祐子など女優陣の目の輝き、野性味のある生き生きとした演技が本作に臨場感とリアリティを与えています。

この映画を初めて地上波で見た10代の頃、私は「糸取り」の作業に強く惹かれ、女工たちの過酷さをよそに繭から絹糸ができる工程の不思議さに魅せられたものです。 
映画では工女たちの手元を映す映像は少なく、詳しい工程も描いていなかったように思います。

実際の工程としては、「繭をお湯に浸して柔らかくし繭の繊維質をほぐす」→「ほぐれた繭の繊維部分を引っ張るようにして引き出す」→「数本を絡み合わせてある程度の太さの糸にする」→「糸枠に巻き付ける」というものです。

2014年に世界遺産に認定された富岡製糸場は、本作のようなブラック企業では無く、労働基準法がしっかりと守られており、全国から糸取りの技術を習得するために全国から工女志望の少女が集まり、職業婦人として憧れの存在でもあったそうです。

富岡製糸場での実際の糸取りの実演を見ると、目に見えないほどの細い糸を数本より合わせて一本の糸を作る工程はかなりの技術と熟練が要求される作業で、年端もいかない10代の少女がこれほどの超絶技巧を行っていたとは驚きです。

日本の経済を支えた製糸業は世界恐慌をきっかけに衰退し、日本が太平洋戦争へ進むと共に軍需産業や工業に取って代わられ次々と製糸会社は倒産していったそうです。

当時の若手人気女優が大挙して出演しアイドル映画の要素もあり、シリアスな内容ながらエンターテイメント作品としても見ごたえがあり最後まで見せる魅力があります。
「諏訪湖に工女が飛び込まない日は無い」と謳われたほど劣悪な環境の中で互いに助け合い、懸命に生きる少女たちの青春は心を揺さぶられ、70年代日本映画の中でも強烈に印象に残る作品です。