公開 2012年
監督 神山賢治
声の出演 宮野真守 斉藤千和
上映時間 103分
1980年「超銀河伝説」以来32年ぶりの劇場版で、現代にフィットするように再構成され見事に大人向けの作品へと進化させています。
1989年のアニメシリーズから大ファンの私から見ても、原作への愛とリスペクトに溢れる期待を遥かに超えた傑作で、見事に生まれ変わった「サイボーグ009」を映画館で鑑賞できたことに感動し胸が熱くなりました。

世界中で「彼の声」を聞いた犯人による、謎の同時多発テロが発生していた。
島村ジョーはギルモア博士によって、3年ごとに記憶をリセットされ、普通の高校生として暮らしていた。
「彼の声」を聞き六本木ヒルズ爆破テロを起こそうとした島村ジョーは、フランソワーズ、ジェロニモによって記憶を呼び覚まされ、009として覚醒する。
冒頭20分の島村ジョーが覚醒するまでのシークエンスは圧巻の一言です。
「急いで009の記憶を呼び覚まして!」
フランソワーズの指示でジョーを襲うジェロニモ。
記憶が呼び覚まされ、ジョーの加速装置が作動する。空虚だったジョーの眼に光が宿る。
「君が来たという事は、僕たちを必要とする敵が表れたってことだね?」
「姿なき敵と戦うため、再びギルモア博士の元に集うときが来たの…」
抱き合う二人。
フランソワーズはギルモア博士の命で、ジョーの動向を常に見守っていた。
二人の愛と絆を感じると共に、サイボーグらの新たな戦いの幕開けを印象づけ、数十年間009ロスだった私のようなファンにも、かつての熱狂を呼び起こさせる最高のオープニングだったと言えます。

サイボーグはメンテナンスにより、肉体は老化しない。
「またあなたより、3つも年を取ってしまったわ…」
テレビシリーズは対象年齢がティーンであったため、二人のスキンシップは「抱き合う」「肩を抱く」などに留まっていましたが、本作で初めて大人の男女としてのセックスシーンが描かれています。
このシーンは私にとって特に感慨深く、二人の愛がやっと成就したかのような感動を覚えました。
さらに009が大人へ向けたアニメとして生まれ変わったことを意味する重要なシーンとも言えます。

リメイクにあたり本作では、サイボーグメンバーの職業も現代にフィットするように再構成されています。
009こと島村ジョーは、テレビシリーズではF1レーサーでしたが、本作では高校生に設定されています。
003ことフランソワーズはバレリーナからフランス国家諜報員ことギルモア財団の職員、002ことジェットはアメリカ国家安全保障局、004ことハインリヒはドイツテロ対策特殊部隊の教官、007ことグレートは舞台俳優からMI6職員、005ことジェロニモはアメリカ自然保護区の活動家、008ことピュンマは考古学者、006こと張々湖は全世界に中華料理チェーン「張々湖」を展開する企業家となっています。

この設定で特に秀逸なのはハインリヒと張々湖で、「よくぞ考えた!」と膝を打ちたくなるよう改変がほどこされています。
00ナンバーはサイボーグ兵士のプロトタイプ、いわば試作品であり、中でもハインリヒは体内に核爆弾を内蔵する全身兵器で「俺の体はすべてがワンオブパーツだ。部隊じゃ冷戦時代の遺物扱いさ…」彼を特殊部隊の教官としたことは過去の背景から考えても整合性があります。
張々湖はテレビシリーズでは中華料理店の店長でしたが、本作では中華料理チェーン店を展開する富豪で、ギルモア財団に多額の寄付をしているという設定になっており、ともすれば危うくなりがちな彼の存在意義に着地点を与えています。

9人のメンバーの関係性としては、リーダーの島村ジョーとその恋人フランソワーズ、ジェットはジョーと時折対立するライバルのような関係、ハインリヒはクールでそんな彼らを距離を置きつつ見守り、グレートと張々湖はコメディリリーフ、ピュンマとジェロニモはメンバーのまとめ役とそれぞれ立ち位置が決まっていましたが、原作での関係性を踏まえつつ、それぞれに見せ場を作る秀逸な構成になっています。

個々の特殊能力を有する9人のメンバーの中でも、009島村ジョーの「加速装置」はアニメとしての「映え」も抜群で、シリーズが長きに渡って映像化されてきたのは、009のこの機能が寄与する所が大きいのではないでしょうか。
マッハ5の音速で移動し、敵の行動を未然に防ぐ事の出来るこの機能は、近年ハリウッドのマーベル作品でも類似の設定のオマージュが見られ、原作者石ノ森章太郎の発明とも言えるギミックですね。

「彼の声」を聞いたとされる者の自爆テロが相次ぐ中、アメリカ軍兵士の中でも謎の声の命ずるまま、ドバイへ核攻撃を仕掛ける者が現れる。
核攻撃を阻止するべく、ミサイルと同じ音速でミッションを行うジョーとジェット。
この中盤のシークエンスは秀逸で、彼らにしか見る事のできない音速の世界を見事に表現しています。
ジョーが加速装置を連続して発動し核爆弾から逃れるシーンは圧巻です。
009は00ナンバーサイボーグの最後に創られた完成形で、「加速装置」の兵器としての汎用性の高さを遺憾なく発揮したシーンとも言えます。

アメリカ海軍原子力潜水艦が「彼の声に従って世界をやり直す」という通信を最後に消息を絶つ。
00ナンバーサイボーグたち9人は、世界への核攻撃を防ぐべく再集結し、「人類はやり直すべき」という神の声に抗って戦う。
「僕に座標を知らせてきたという事は、テレポーテーションしてくれということだね…」
009からの脳波通信を受信した001。
ジョーは仲間の元に一度戻るも、世界が核攻撃に遭うのを阻止すべく、ミサイルを空中で破壊すると宣言する。
「イワン、今から送る座標に、ジョーをテレポートさせて欲しいの」
「いいのかいフランソワーズ? 僕もおそらく次のテレポーテーションが最後の1回になる」
001のテレポーテーション能力は甚大なエネルギーを要するため、回数に制限がある。
抱き合うジョーとフランソワーズ。次の瞬間ジョーはテレポーテーションで消える。
このシーンはエモーショナルかつ感動的で、二人の愛と絆を感じる素晴らしい演出です。

「ジョー、あのミサイルを止めても、彼の声が止む保証はどこにも無い。それでもお前はやるのか!?」
「こうして彼の声に抗って見せる事で、僕たちの意志を継ぐ者が現れるかもしれない…!」
力を使い果たし、バラバラに分解しながら大気圏に落ちるジェット。
このシーンは原作「ヨミ編」ラストシーンのオマージュでしょうか。

ヴェネツィアのような場所にある部屋で目を覚ますジョー。
「ここは私のセーフハウスよ…」
ジョーに寄り添うフランソワーズ。
ラストの考察は様々ですが、フランソワーズの能力であった透視と遠隔聴力が進化し、彼女が構築した平和に暮らせる安全な場所である電脳ネットワークの精神世界にメンバーのデータを引き込こんだとの見方が最もふさわしいと感じます。
ジョーの高校時代のガールフレンドは、フランソワーズがジョーに見せていた幻影であり、それを伏線と考えるとこの説が有力であり、私はそうであって欲しいと思います。

石ノ森章太郎原作の「サイボーグ009」は1964年連載開始の日本の漫画史上屈指の名作で、「ブラックゴースト」に拉致され、戦う兵器として改造された9人のサイボーグの悲哀と葛藤、平和とは何かを描いた深いテーマを持つ作品です。
22年の長きに渡り少年誌で連載された作品ですが、現代に蘇らせるにはいくつかの課題があります。
少年の夢溢れる冒険活劇の意味合いが大きかったためか、007の「変身能力」、002の「飛行能力」、006の「火炎放射」などSF的なギミックが多用されており、リメイクにあたり現実に落とし込む作業は並々ならぬ苦心があったのではないかと思われます。
メカニックにおいても、悪く言えば原作の「ざっくり」とした設定に根拠を与えるべく徹底的に分析し、視聴者が納得のいくレベルまで構築されています。
またテレビシリーズなどの長編はともかくとして、劇場用の2時間程度の枠でサイボーグメンバー9人をそれぞれ活躍させる事の難しさがあります。
恋人のフランソワーズ、クールなジェットとハインリヒ、コメディリリーフのグレートと張々湖。
問題はジェロニモとピュンマです。
彼らの能力は「怪力」と「水中能力」という点で特殊能力としては「映え」が乏しく、本作ですらピュンマが能力を発揮する場面は描けていません。
不動のセンター島村ジョーを引き立てる脇役のメンバーをどう配置するか、これは相当な腕がなければ難しいと言えます。
またメンバーのトレードマークとも言える赤い戦闘服も昭和の戦隊ヒーローのテイストがあり、これを現代的にクールに落とし込むために、本作ではやや暗めのトーンに抑えています。

「サイボーグ009」は何度もテレビアニメ化されたものの、2012年の「超銀河伝説」以降劇場版は制作されていませんでした。
リアルな戦場描写やメカニックにこだわった「機動戦士ガンダム」などの人気に押され、非現実的でSF的な要素を持つ「009」は、幼稚な子供向け作品に位置づけられ人気が低迷した時期があったように思います。
本作は原作シリーズ未完の名作「天使篇」をオマージュした作品だと言われています。
作画は精緻で透明感があり、フル3DCG作品でありながら充分に製作者の愛と体温を感じ、ありがちな無理やり自分の色に持っていくリメイクでは無く、制作者の原作に対する愛とリスペクトを充分に感じる再構成です。
年にネットフリックスで公開された神山賢治監督「CYBORG 009 CALL OF JUSTICE」も本作のベースを踏まえつつ制作されたもので、近年動画配信された「サイボーグ009VSデビルマン」「サイボーグ009 ネメシス」などよりも遥かに高次元な解釈で、原作の持ち味を見事に引き継いでいます。
本作の監督と脚本を務めた神山賢治の手腕はまさに「神技」と言え、やはり「009」の映像化は彼ににしかできないと感じました。
近い将来、また神山賢治監督による劇場版「サイボーグ009」が見れることを願ってやみません。

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