寒椿
午後のロードショー大好きなパート主婦です。
今回は思い出の映画寒椿の感想です。
公開 1992年
監督 降旗康男
公開当時 南野陽子(25歳) 西田敏行(45歳)
80年代のトップアイドルだった南野陽子が大胆な濡れ場にチャレンジしたことで話題となった作品であり、彼女のファンだった私は少なからず衝撃を受けたのを覚えています。
20代の頃、深夜にテレビでひっそりと放送していたのを一度見ただけなのですが、人生のあらゆる場面で頭を過るような心に残るセリフが数多くあります。
アイドルの殻を脱ぎ捨てた南野陽子の妖艶さもさることながら、富田岩伍を演じた西田敏行の抑えた渋い演技が素晴らしく、主演二人はミスマッチのようでいてお互いを引き立てあっています。
高知で芸妓紹介業である「女衒」を生業とする富田岩伍。
高知でバスガイドをしていた美しい娘、貞子は親の借金のカタに売られることになる。
仲介をした岩伍は貞子を憐れみ、一流の料亭「陽暉楼」へと貞子を送る。
「牡丹」の源氏名を与えられた貞子は、陽気楼一の芸妓へと成長する。
岩伍は一流の芸妓へと成長した牡丹に目を細め「わしのような田舎者には、目の毒じゃ…」
牡丹は自分に目を懸け、世話を焼いてくれた岩伍にいつしか恋心を抱くようになる。
地元の銀行頭取の長男、多田と、同じく地元銀行の頭取中岡は、牡丹を巡って激しく争う。
多田と中岡、どちらに身請けされるか迷う牡丹に岩伍は
「若さんにせい」
岩伍は親子ほど年の離れた中岡より、若い多田を牡丹に奨める。
「ととさま、私には好きな人がおるんよ…」
「そいつは、お前を身請けするとでも言ったか。」
牡丹の想いを知りつつも、きっぱりと一線を引く岩伍。
中岡の背後に付くヤクザ組織の構成員、仁王山は美しい牡丹に一目惚れし、牡丹を海沿いの小屋に拉致する。
このシーンで南野陽子は濃厚な濡れ場を演じており、この映画の最大の見せ場といえるかもしれません。
仁王山のもとから連れ戻され、多田に身請けされることになった牡丹。
だが、仁王山に拉致され手籠めにされたことから、多田は牡丹に興味を失い、彼女を高額で満州に売り飛ばそうと画策していた。
岩伍は牡丹を助け出すため、多田の元へ向かいヤクザらと死闘を繰り広げる。
日本刀で切りかかってきたヤクザから身を呈して岩伍をかばう牡丹だったが、刀で切られ右手の指を失ってしまう。
「ととさま、うち、指が無うなってしもうた…」
傷ついた牡丹を、仁王山に託す岩伍。
岩伍は追いかけてきたヤクザと刺し違え、川に転落する。
富田岩伍は人情派の女衒という矛盾した立ち位置の人物なのです。
岩伍が牡丹を本心ではどう思っていたのか、語られることは無く見る者の想像に委ねる部分があります。
仁王山の動物的で自分本位の愛情表現と岩伍の思慮深さとの対比で、真の愛情とは何かという問いを投げかけられたように思います。
原作の宮尾登美子は「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」など苦界に生きる女性の生涯を数多く描き、70年代から80年代にかけて五社英雄監督により数多く映像化されました。
本作は五社作品のよう派手さはないものの、花街で生きる女性の暮らしが繊細に描かれています。
公開当時メディアなどでは全盛期を過ぎたアイドルが大胆な濡れ場で起死回生をはかった映画などと称されていましたが、南野陽子は華があり儚くも逞しい牡丹を見事に演じ切っています。
岩伍役を高倉健や菅原文太などの二枚目俳優にせず、西田敏行をキャスティングした事でこの映画の深みがより増しているといえます。
ラストシーンで息子の前に現れた岩伍は実体のない魂だったのではないかと思わせるほど、岩伍という男の人間性、情の深さを演じ切っています。
岩伍は男の色気と凄みがあり「西遊記」「釣りバカ日誌」などのコメディから本作のようなシリアスなものまで、彼の演技の振り幅の広さに感服してしまいます。
南野陽子のヌードがクローズアップされた作品ですが、大人の恋を静かに描いた作品であり、ドラマチックでもある秀作と言えます。
現在の邦画界では本作のような映画を製作するのは難しいのではないでしょうか。
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